「新しい日本型資本主義を考える会」を支持する。さよならグローバル資本主義。
衆議院議員の山田としおさんが、
「新しい日本型資本主義を考える会」を立ち上げるらしい。
http://ameblo.jp/toshio-yamada/entry-11138474305.html
大賛同します。
「今のままの市場原理主義、新自由主義で、
国際的な金融資本経済に巻き込まれたままでこの国の将来を描けるのか」
という問題意識とか、
「複雑極まりないITを駆使した国際金融のグローバル化は止めようがないかもしれません。しかし、
そこに各国の特性を踏まえた国柄の尊重、
お互いの発展を念頭に置いた連携のあり方、知的財産権の尊重、
自国の論理を押し付けるのでなく
各国が等しく発展できるルールづくりがなされなければならないのです」
というお考え、もろもろ同意です。
「グローバル経済」とか「グローバル市場」とか「グローバリゼーション」という
「グローバル化」とは、何だったんでしょうか。
「国境をこえて、ルールを均一化して、
商売をやりやすくしよう、投資をやりやすくしよう」・・・
が、もともと違う者どうし、利害は当然争うわけで
ルールを一緒にしようとすればするほど、国どうしの関係はぎくしゃくする。
その策定方法も外交交渉で決まるので、けっきょく外交の強いほうが勝ってしまう。
しかも交渉の過程は非公開で、国民の声の届かない場所で行われるので、
国民国家における国家主権を超越するものといわれる。
なのにそれによる影響は、
経済だけじゃなく、社会、環境、安全、健康、文化・・・
国民生活のあらゆる隅々に及び、害を与え、国柄を損ねる可能性もある。
「少し前までは国内が"主"で世界が"従"だったのが
今は世界が"主"で国内が"従"になってしまってる」
「法律を変える場合、国民の利益になるように変えるのが普通だが、
企業が投資しやすいように変えるとはどういうことなんだろう」
と柴山桂太さんがまったくその通りなことをおっしゃってました。
「グローバル資本主義で受けた傷は、グローバル資本主義では治せない」とも。
・・・「今のままの市場原理主義、新自由主義で、
国際的な金融資本経済に巻き込まれたままでこの国の将来を描けるのか」
描けませんよね。
描けません。
日本は今、世界に市場を開ききるべきじゃない。
「他国の市場を開かせる」なんて殊勝なことをおっしゃいますが、
ゼロサムゲームが世界を救うわけない。
どこの国も大変です。開ききったところで、共倒れ。
日本はまだグローバル化しきってない。これは不幸中の幸いで、
もともと内需大国なんだから、内需拡大を目指し、国力を蓄えるほうがいい。
GDPに占める貿易の割合はずっと1割。韓国は5割です。状況が全然違う。
保護貿易と自由貿易は矛盾しない。程度の問題だ。
個別産業や各国情勢によってそれらは使い分けられるべきなんだ。
一体なにが一番大事なんだろう?
日本に利益をもたらさない、すでに多国籍企業化してしまった
グローバル企業の利益が第一なんだろうか?
それは国民国家の政府がやることなの?
国民の豊かさが第一なら、国内産業・国内企業を助けて、
労働者へ、消費者へ、国内でお金が循環するようにしなきゃいけない。
なによりまず迅速に、デフレを是正しなきゃいけない。
デフレは資本が動かない状態、いわば資本主義が死んだ状態なんだって。
「そんな異常事態をいつまでも放っておく官僚も政治家も、経済政策能力ゼロ」
なんだそう。
このデフレ是正に有効な金融緩和と財政出動も
グローバル化した後では、効果を得られなくなってしまうそう。
少なくとも今の世界で、今の日本で、これ以上グローバル化しちゃだめだ。
方針転換。これ不可避。
「日本型資本主義」・・・
これが救済策になるって期待してる。
日本だけじゃなくって、同じ考え方で
各国が各国なりの資本主義のかたちをやってけばいいと思う。
貿易は必要なものだけど、国家を超えるほどの存在感を持っちゃだめだ。
国境を越えた世界の均一化なんて、無理です。
せめて国民統合がなされた国家では、
国家単位で、国民主体で、経済を考える。それって基本じゃないだろうか。
国家の力は、国民の生産力。
国民不在の経済自由主義じゃなく、国民主体の経済ナショナリズム。
各国とも、それを考える時じゃなかろうか。
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